道程
三代目火影にとって、イルカは自分の息子も同然だった。
公私の区別が付かない人ではなかったものの、ひどく目をかけているのは誰の目から見ても明らかで、受付にイルカが座っている時などその顔はでろでろに脂下がっている。もしかすると、息子というよりも孫のように思っているのかもしれない。
十二年前のあの紅の夜に、イルカは両親を失った。
そんなイルカを哀れに思ってという声もあるが、あの夜に親を亡くした子供はイルカだけではない。第一両親のいない子供など忍びの隠れ里で珍しいはずがなく、むしろ両親の残してくれた遺産があるイルカは恵まれているとさえいえた。
三代目が子供に恵まれていなかったのならまだわかる。しかし、彼には二人の息子がいた。長男は任務中に亡くなったが孫を一人残し、次男は上忍として名を馳せている。
そんなものだから、三代目のイルカ贔屓は結局のところ完全な私情なのだと結論付けられていた。
それを羨ましいと思うか妬ましいと思うかは受け取り側によって変わるだろう。ただ、年寄りに受けがいいと苦労するなと、別の意味でイルカを気の毒に思っている人間が多いのは内緒の話だった。
そんなイルカに、最近恋人が出来た。
現役の上忍の中でも最高位とさえ言われている写輪眼のカカシ。
それがイルカの恋人だった。
あまりの大物に周囲は大騒ぎだったが、カカシが意外に素朴な人柄であることが知られていくと、けっこうお似合いじゃないか?なんて次第に微笑ましく思われるようになっていった。
公の場で色めいた雰囲気を出すわけでもなく、ただ、ちょっと目で会話するくらいだ。
その内容も、今日はご飯どうしますかとか、どちらの部屋に行きますかとか、その程度の会話らしい。その後は流れに任せているとか。
イルカにそれを聞いた同僚は、どうにも脱力したものだ。
そして、思った。
がつがつしてない草食動物同士でお似合いかもしれない、と。
だが、それで収まらない人物もいる。
イルカの嫁は自分が見つけてやらねば!と鼻息荒くしていた三代目火影その人だ。
「おまえは騙されとるんじゃ!」
イルカの勤務が受付の日には絶対顔を出し、休憩時間ともなるとそう切り出す。最初はハラハラしていた周囲も、三代目が喚き始めると「ああ休憩か」と時間を計る余裕が出てきた。
「あやつはおまえの手に負えるような男ではない!」
「すみません、実力の足らない中忍で」
「や、いや。おまえはそれでいいんじゃ。誰にも向き不向きはある」
「そうですね。カカシ先生は本当に俺にはつりあわない立派な人です」
「どこがじゃ! あんな人格破綻者!」
「そんな破綻した人がたまらなく好きな俺はどこかおかしいんでしょうか」
「や、そうでなくてじゃな、おまえはどこもおかしくはない。おかしいのは」
「そうですよね。おかしいのはあんな優しい人を捉まえて鬼畜だの人でなしだの言う人のほうですよね」
「‥‥‥」
「でもそれって任務の結果であって、その任務をあの人に下したのはどなただったんでしょうか」
「‥‥‥‥‥‥」
「第一、あの人が情を交えず、相手を無駄に苦しませることなく任務を遂行したから、味方に損害を与えることもなかったんだと思うんですが」
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥」
「どう思われますか? 三代目」
イルカの笑顔が眩しかった。
「と、いうことがあったんです」
真面目な顔で昼間のやり取りを報告するイルカに、カカシは腹を抱えて笑い転げた。そうして、滲んだ涙を擦りながら、
「イルカ先生、最強ですね」
「そうでしょうか。俺にしてみたらまだ言い足らなかったんですけど」
イルカはむすっとして掌に包み込んだ湯飲みに目を落とす。相当腹に据えかねたのか、アパートに帰ってきた時からこんな様子だ。
カカシは小さく笑うと、そんなイルカの頬を優しく撫でた。
「あなたが怒ることじゃないでしょう」
「俺が怒ることですよ」
カカシはきょとんと目を瞠った。
「どうしてですか?」
「あなたを貶める発言はもちろん腹が立ちますが、それよりも三代目が俺をまったく信用していないってのが引っかかるんです」
「はあ」
「カカシ先生と俺がつりあわないのはわかってますよ。内勤の中忍と現役戦忍の上忍師ですからね。ええ、つりあうはずがありません」
カカシはぽりっと頬を掻いた。
よくわからないが、今は口を挟んじゃいけない気がする。
「でもね、そんなのわかっててカカシ先生のことを好きになったんです。他でもない、俺がですよ。至らなくてもつりあわなくても、好きって気持ちだけは負けてない自信がありますから」
「‥‥‥ありがとうございます」
「どういたしまして」
イルカはぐいっと湯飲みに残った冷めた茶を飲み干した。そして、大きく息をつく。
「‥‥‥三代目があなたを貶して俺を持ち上げるたび、ものすごく惨めな気分になります。三代目にしてみれば俺は膝を抱えて泣いていた小さな子供のままなのかもしれません。気にかけてくれるそのお気持ちは嬉しい。でも、いい加減認めて欲しいと思うのは我侭ですか?」
両親を亡くしたばかりの頃、寂しさをこらえるために馬鹿をやった。無条件に自分を見てくれる視線を失ったことが恐ろしくて、派手な悪戯をして周囲の目を自分に向けさせた。
そんなイルカを三代目は見守ってくれた。とても口では語りつくせないほどの恩がある人だ。
けれど、もう認めて欲しいと思う。
力の足らない中忍かもしれない。だけど、小さな火の粉でもいい。三代目のお役に立てればと努力してきた自分を。
「‥‥‥信用して欲しいと思うのは、我侭でしょうか」
イルカは唇を噛む。
要するに、三代目はイルカがまだまだ目の離せない未熟者だから口を出すのだと、信用されていないのだと、イルカはそう思った。何より認めて欲しい人に未熟者扱いされて笑っていられるほど、イルカの矜持は低くない。
だから。
イルカは大きく、気を落ち着かせるように息を吐いた。
「‥‥‥八つ当たりです。みっともない」
「そうですか?」
「そうです」
「そうでしょうか」
カカシは静かに茶を啜った。
「みっともなくなんかないですよ。イルカ先生が腹を立てるのは当然です」
イルカは目を瞠った。
「甘えてるとは思いますがね」
「‥‥‥もっともです」
「まあ、好きなだけ言わせておけばいいんです。三代目のあれは、自分がイルカ先生の一番じゃなくなったって思い込んで駄々をこねているだけですから」
「駄々、ですか」
イルカはぷっと吹き出した。そうかもしれない。確かに、三代目の主張はまとまりがないというか、カカシの悪口を並べ立てているだけだ。
一生懸命駄々をこねてイルカの関心を引こうとしている、アカデミーの最下級生のようだった。
「つまり、俺も三代目も子供みたいに甘えてると」
「そうなりますね。妬けるなあ」
「妬くんですか」
「はい」
飲み干した湯飲みを手の中で廻しながら、カカシは苦笑した。
「まだまだ割り込めないなあと思います」
「それはそうです」
イルカは、今夜初めて朗らかに笑いながら、カカシの手の中から湯飲みを取り上げた。
「俺だって、あなたと四代目の間には割り込めない」
「それは」
「お互い様、ですね」
「‥‥‥そうですね」
笑いながら、額と額を合わせる。そうしてしばらく、軽やかに笑いあって。
そして。
「まあ、ゆっくりと」
「ゆっくりとね」
どちらからともなく、唇を合わせる。
「先は長いですから」
「はい」
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