ある夜の二人

 

 

「飲み比べでどうでしょう?」
 イルカは真剣な眼差しと表情で言った。
「やですよ。酒は美味しく呑むもんです」
 カカシはいつものエロ本から顔も上げずに切り返す。
 そもそもザルどころかワク同士の飲み比べに何の意味があるというのか。酒がもったいないだけだ。
「じゃんけんにしましょうよ、じゃんけん。お互いの運次第ってことで。ね?」
 カカシはにっこりと微笑んだ。
 幻のように美しい貌に間近で微笑まれ、イルカは瞬間魂を飛ばし、それから慌てて頭を振った。
「上忍の動体視力に敵うわけないでしょう。俺の負けが決まってるじゃないですか」
 自分の家だというのに正座をし、卓袱台の上に握った拳を置いたイルカはきりっと表情を改める。少年のようなその様子にカカシはくすくすと笑う。
 清潔感あふれるイルカはその髪型もあって、青竹のように清々しい若侍を思わせる。生真面目な気性も忍びというよりむしろ武家のそれだ。
 まっすぐで健全なイルカ。タチの悪い男の毒牙にかかったという方が、彼を愛する周囲の精神衛生上にもいいだろうに。…いずれこの関係は間違いだと気づいた時の逃げ道を残すためにも。
 中忍である彼が抱かれる立場ならば、階級を盾にされて力づくでと同情を得ることができる。里の中では珍しいかもしれないが、長引く戦場に出ればそんなことも間々ある。
 けれど、抱く立場になればそうもいかない。命令されたからだと表面上は同情しながらも、でもあいつも楽しんだんだろうよと野卑た噂の的になりかねない。中忍が上忍を抱くということはそういうことだ。
 だから。
 カカシは静かに手を伸ばし、イルカの手をそっと包み込む。
 そして。
 骨ばってかさついた甲を、その白い指先でついっと撫でた。途端、イルカの腰がぞくりと震えて。
「っ!」
「俺、上手いですよ?」
 低く、甘く囁く。
「…でしょうね」
 イルカはひくりと口元を引き攣らせた。
「でも!俺はカカシさんを抱きたいんです!だって!」
「だって?」
「綺麗な人は抱きしめたいって思うのが男ってもんでしょうが」
 真面目な顔で。真面目な声で。
 そんな台詞を口にするだなんて。
 不意打ちのような攻撃に、さしものカカシも赤面する。じわりと、腰の辺りに熱が灯る。
 …畜生。もしかしなくても、今夜は俺が下?


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 面食いレベル


 

 月の光が、小さな部屋を白く染める。
 何の変哲もない部屋だ。
 日に焼けた畳。洗って縮んだ長さの足りないカーテン。ごちゃごちゃとした小さな家具と、隅に追いやられた卓袱台とアカデミーで使う資料。
 独身男性の一人暮らしらしい、生活感にあふれる部屋だ。
 その住人であるイルカは、よく日に焼けた上半身を夜気に晒しながら、暖かい眼差しで傍らで眠る男を見つめた。
 月の光を縒り合わせた白銀の髪。
 閉ざされた瞳は銀を散らした青と紅。抜けるように白い肌を引き裂く傷すら綺麗な切り口で、本当に生きた人間なのかと疑いたくなる幽玄の美貌。
 けれど。
 その性情はごくごく普通の青年だ。
 ほんの少し傷つくことに慣れているだけの、よく笑い、よく怒る、同年代の。
 イルカはくすくすと笑いながら、汗でしんなりとしている銀の髪を撫でた。
 綺麗なものは好きだ。
 人の手で改良された美に興味はない。自然に生まれた美しいものが好きだ。
 里の人々にあれほど忌み嫌われながら、それでも歪み損ねることなく育ったナルトの真っ直ぐな気性を美しいと、愛しいと思うように。
 ずたずたに傷つき、どうしようもないほど歪み、けれどしなやかに立ち直った、葦のようなこの人が好きだ。
 だから。
 綺麗なこの人が自分に手を伸ばすのは、唯一の汚点ではないかと思うのだ。
「でもなあ」
 力が抜けてだるい腰をさすりながら、イルカは天井を見上げて息をつく。
 それでも、自分からは離れることは出来そうにない。
 忍びなんて矛盾の塊だ。木の葉でも指折りの忍びであるこの人が、その矛盾に人知れず傷ついた時。
 綺麗なこの人が、その綺麗な目を曇らせて、ためらいがちに腕を伸ばす、その先には自分がいたい。い続けたいのだ。
 だからイルカはここにいる。いらないと言われるまでい続けるだろう。
 できることならば、抱きしめるのは自分でありたかったが。
 イルカはぱりぱりと頭を掻く。
 でも、まあ。
「面食いに人生かけるのもおもしろいやな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 眼鏡
ver.ik

 

 

 カカシは非番の日は眼鏡をかけている。
 その理由を聞いて、イルカは心配そうにカカシの顔を覗きこみ、左の瞼を綺麗に切り裂いた傷にそっと触れた。
「‥‥‥視力が落ちただけですか」
「今のところは」
 年々頭痛が酷くなっていることは黙っておく。機密の塊であるカカシの身体は、その持ち主であるカカシだけの問題ではない。些細な異常は全て里の医療班に報告され、研究される。
 もちろん、五代目火影も黙って見ているわけではない。
 これ以上の視力の低下の阻止。頭痛の原因の特定。
 それらがもしも写輪眼によるものならば、摘出も視野に入れているらしい。
 写輪眼がなくてもカカシの価値は変わらない。千の技をコピーしたカカシはいわば生きたデータバンクだ。その損失は写輪眼ひとつの比ではない。
 そして、何よりも。
 今はもう、写輪眼保持者はカカシだけではない。カカシ一人が抱える必要はないのだ。
 けれど。
 カカシはすでに予感している。
 たぶん、いつか。
 今ではない未来。けれど遠くない未来。
 自分は光を失う。永遠に。
 ―――永遠に。
 カカシは、心配そうに自分を見つめる男に薄く微笑んだ。
「大丈夫ですよ、イルカ先生。視力が落ちててもまだまだヒヨッコどもには負けてませんから」
「そんなことわかってます」
「だったら」
「俺が気にしてるのは」
 イルカはカカシの言葉をさえぎった。
「いずれ俺たちが引退した後は家の中の段差を全部なくして、あちこちに手すりをつけなきゃいけないなってことです。ああ、風呂とトイレもリフォームしなきゃ」
「‥‥‥はあ」
 カカシはぱちくりと瞬きした。
「杖の邪魔にならないようにして、ドアも全部引き戸にして」
 なんとなく、イルカの言いたいことがわかってきた。
 だから。
 カカシは綺麗に微笑んで、イルカを見上げた。
「お互い因果な商売ですからね」
「まったくです。身体が資本の仕事ですから、年取ったらきっとガタガタですよ。俺なんて肩の脱臼が癖になってますから」
「今のうちに温泉の近くに土地でも買っておきますか? それくらいの貯金はありますよ」
「いいですねえ。あ、でも絶対折半ですからね!」
「了解です」
 カカシはくすくすと笑いながら、イルカの胸に額を押し付けた。
 くすくす、くすくすと。
 そっと抱きしめてくれる温かい腕に、くすぐったそうに笑いながら。
 カカシは静かに目を閉じた。

 

 いつか、たぶん。
 この目は光を失う。永遠に。
 けれど。
 光を失う代わりに暖かい腕を手に入れる。その幸福。
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 スイートアイテム

 

 

 カカシは甘いものが苦手だ。
 対してイルカは甘いものが好きだ。
 そりゃあ一楽のラーメンには劣るけれど、アカデミーや受付業務での残業に饅頭や一口チョコは欠かさないし、女子生徒たちが新製品のクッキーが美味しいといえば自分も買ってみる。
 男が甘いもの好きだなんてと、そういう見栄とは無縁のイルカは甘いもの好きを隠していない。
 そんなイルカのために、カカシはくのいちに人気の有名菓子店でケーキを買ってきた。濃厚なチョコとブランデーの香るガナッシュケーキ。
 イルカが喜ぶだろうと、そう思ったのだ。
 けれど。
 お土産ですと渡された箱の中を覗き込んでも、イルカはあまり嬉しそうではなかった。
 喜んではくれている。だけど、いつも小さなチョコを頬張っている時のような、いかにも幸せといった表情ではない。
 カカシは戸惑った。
 酒が入っているから駄目なのだろうか。フルーツの炒め物が許せない人間がいるように、イルカはお菓子に酒を使うのが許せないのかもしれない。だけど、酒粕饅頭は食べていたような。
「こういうケーキは嫌いでしたか?」
「え? 好きですよ」
 イルカはきょとんとして言った。嘘は見えない。
 自分は食べないからと、三つ買ってきたケーキのうち二つはイルカの腹に収まった。明日に持ち越しても大丈夫そうなケーキは冷蔵庫の中。
 我慢して食べている風ではなかった。
 濃厚なチョコを味わうようにして食べる様子は充分美味しそうだった。
 では、どうして?

 


 少しして、カカシは知る。
 イルカが幸せそうに食べるお菓子は、全て子供の頃からのおやつだと。
 両親がいて、家があって。
 幸せだった頃を懐かしく思いだす小さなアイテム。
 少し苦い、甘いアイテム。