金色の贈り物

 


 

 風の国、砂隠れの里に巨大な荷物が送られてきた。
 届け先は若き風影我愛羅の姉、テマリ。
 送り主は火の国木の葉隠れの里の中忍、奈良シカマル。
 届け先も送り主も知らない相手ではない。どころか、かつて木の葉崩しの舞台となった中忍試験から因縁は続き、現在も里同士の交渉の場では顔を合わせることの多い間柄だった。
 だが、それだけだ。
 贈り物をするような関係ではない。
 そもそも、今は友好関係にあるとはいえ、他所の里に民間の運搬会社を使って荷物を送るなど聞いたこともない。
 忍びの里同士の荷物のやり取りは中忍以上の仕事だ。里を代表するのだから、お使い程度の内容でも下忍などには任せられない。
 仮にも中忍であるシカマルがそれを知らないはずがないのに。
 テマリは腕を組み、難しい顔で荷物を睨みつけた。
 牛にくくりつけた荷車でそれを運んできた二人の男は、可哀相にだらだらと脂汗を流している。
 自分たちが運んできた荷物に何か仕掛けがしてあった場合、木の葉の切り込みと疑われて殺されるのが目に見えて予想できたからだ。
 それでも、受取証のサインをもらうべく、男は頑張った。たとえ受取証を握る手に力が篭りすぎて紙をぐしゃぐしゃにしていたにしても。
 やがて。
 テマリは大きく息を吐いた。
「‥‥‥まあ、いい。サインするよ」
「いいのか?」
 弟のカンクロウが首を傾げる。他人事と思っているのか、どこか面白がっている様子だ。
 もちろんこれの中身が危険物だった場合を考えて姉の隣から離れない。木の葉のちょんまげがそんな姑息な真似をするとは思えないが、奴の名前を騙っていない保障はどこにもないのだ。
 テマリはぶるぶると震える男から受取証を見せてもらうと、相手のサインが間違いなくシカマルであることを確認する。筆跡を似せることなど忍びにはたやすいが、それを見破る技量もまた忍びにはある。
 間違いない。
 奈良シカマルだ。
 となると、今度は中身が気になった。
「おい、これの中身が何なのか知っているか?」
 牛と荷車の意匠の紋を染め抜いた法被を着た男たちは、顔を見合わせると、同時に首を振った。
「いやあ、知らんです。ただ」
「ただ?」
「火の国は今が収穫の時期ですから、こうして他所の国に産物を送るのはよくあるです」
 木の葉隠れの里は他里に比べて忍び以外の住人を多く受け入れていて、中で一番多いのが商人と農民だ。四季のはっきりした火の国は農作物が良く育つので、土地の痩せた国の大名などはわざわざ季節の産物を取り寄せたりするとも聞く。
「産物? 奴が?」
 テマリはますます渋い顔をした。
「とにかく開けてみればいいじゃん。あんたら、中身の確認が出来るまでそこにいろよ」
 火の国の男たちはひいっと悲鳴を上げた。住んでいる土地柄、忍び相手の仕事には慣れているが、見る者に恐怖を与える化粧をしたカンクロウはさすがに恐ろしかったらしい。
 抱き合ってぶるぶると震えていると、いつの間にか集まっていた砂忍がざわりとざわめいた。
「何事だ」
 抑揚の少ない、落ち着いた声。
 振り返れば、年齢にそぐわない老成した空気を漂わせた若き風影、三姉弟の末っ子がゆったりとした足取りでこちらに歩いてくる。
「我愛羅まで来ることない。危ないぞ」
「中身が危険物であれば尚のこと俺が側にいた方がいい。離れていては砂の壁が使えない」
 淡々とした口調はいつものことだ。しかし、内容は姉と兄の身を気遣うものだ。
 今まで自分の殻に閉じこもっていた我愛羅は言葉の使い方がストレートな面がある。気恥ずかしいほど直球な台詞に、カンクロウは一瞬絶句した。‥‥‥どんな顔をすればいいのかわからない。
「じゃ、じゃあ開けるか」
「何を照れているんだ、おまえ」
 姉のテマリはいちゃついている弟たちを微笑ましいような呆れるような目で見やり、それから問題の荷物に視線を戻した。
 大きな荷物だ。四方がテマリの背ほどもある大きな木箱。
 牛に引かせた荷車で運んでこれるくらいなのだから、見た目の大きさほど重量はないのだろう。
 ますますわけがわからず、両腕を組んで首を傾げる。
「‥‥‥まあ、いいか」
 シカマルのことだ。卑怯な手を使うにしてもこんなあからさまな手は使わないだろう。いや、何事にも「めんどくせー」が口癖の奴のことだから、考えるのが面倒でどうせ失敗するんだからと適当な手段を使ったとも考えられる。
 なんにしても、開けてみなければわからない。これが何かの罠だったとしても、危険物を放置しておくのも問題だ。
「開けるぞ」
「おう。あんたら開けて」
「わ、わしらがですか?!」
「ここまで運んできたんじゃん。どうせなら最後まで責任持てよ」
「ひいい‥‥‥っ」
 カンクロウに凄まれた男たちは、半泣きになりながら荷車に備え付けてある釘抜きを手にした。
 梱包は簡単なものだった。どこにも札らしきものは貼っていない。木箱自体に仕掛けはなさそうだった。
 作業の大変さよりも精神的なプレッシャーで汗まみれになりながら、男たちは釘を抜いていく。いくつか抜いたところで、一気に木箱がばらばらになった。
 出てきたものは、枯れ葉だった。
「はあ?」
 テマリとカンクロウの声が重なった。
「なんだこれ?」
「枯れ葉、だな」
 抑揚のない口調で我愛羅も呟いた。
「何考えてるんだ、あいつ」
 テマリは整った眉を顰めながら、腰を屈めて枯れ葉の一枚を手に取る。まったく、わけがわからない。
 だが、さすがに火の国の男たちは気付いた。
「いやあ、違いますよ。ほら、こっちが荷物です。枯れ葉は痛まないように入れたんでしょう」
 ほらと男たちが手にしたものは、
「‥‥‥サツマイモ?」
「こりゃあすごい。火の国で作られた新しい品種の奴ですよ。ほっこりとした甘みが強いとかで、今んところ大店の菓子店くらいしか扱ってないそうで」
「なんでそんなものを」
「おや、栗もある。美味い焼き栗ができますな」
「焼き栗‥‥‥?」
 そこで、テマリはあ、と声を出した。
「姉ちゃん?」
 カンクロウが怪訝そうに姉を見る。が、テマリはそれどころではなかった。
 思い出したからだ。
 あれは、昨年の秋のことだった。
 冬も間近な時期で、木の多い木の葉の広葉樹は全て葉を落とし、どこか寒々としていた。
 いつものように連絡役を賜り、風の国に帰るその日、大門まで見送りにきたシカマルと焼き栗を食べた。

 

 これ、美味しいな!
 なんだよ、焼き栗初めてか?
 ああ。
 こんな子供のおやつがねえ。
 砂の里で栗なんか作れないからな。風の国の首都で買えるが、ほとんど加工品だ。焼いただけの栗がこんなに美味しいとは思わなかった。
 そんなもんかねえ‥‥‥
 我愛羅もけっこう甘いものが好きなんだ。本人は「好き」とは感じていないみたいだが、食べるスピードが早いのは甘いものばっかりで。
 ふうん。
 土産に買っていってやりたいが、冷めてしまうな。
 温めればいいだろう。
 それじゃあ風味が落ちるだろう。
 じゃあ風の里に着くまで維持できるようにしてやる。
 ふうん?
 ‥‥‥なんだよ。
 いや?
 なんだよ、めんどくせえな。言いたい事があるんならはっきり言えよ。これだから女ってのは。
 ふふふ。
 ‥‥‥ちっ。
 ‥‥‥ありがとう。

 

 おんぼろの屋台から買った焼き栗は、砂の里につくまで温かかった。

 


 テマリは艶々とした栗を掌にのせて、一心に見つめる。
 そして。
 ‥‥‥そして。
 栗をぎゅうっと握り締めると、うふふと笑った。
 とてもとても嬉しそうに。
「姉ちゃん?」
「‥‥‥テマリ?」
「カンクロウ、我愛羅。子供達を集めろ、焼き栗と焼き芋をするぞ」
「はあ?」
「多分、この枯れ葉で焼けってことだ。今日のおやつは決まりだな」
「‥‥‥はあ」
 きょとんとしているカンクロウと我愛羅をよそに、テマリは上機嫌で荷を運んできた男たちに礼を言った。男たちは目に見えてほっとすると、荷車に乗って一目散に立ち去っていった。
「上役達も呼んでくる。火の国の芋と栗が届いたと聞けば飛んでくるだろう」
 テマリは軽やかな足取りで上役たちが詰めている建物に飛んで行く。
 その後姿を見送った弟二人は、しばらくの沈黙の後。
「‥‥‥我愛羅」
「なんだ」
「もし奈良が姉ちゃんが欲しいって言ったらどうするよ」
 我愛羅はまったく、微塵も考えるそぶりを見せずに、
「殴る」
「同感だ」
 だけど。
 あの時笑った、姉の表情の華やかさ、美しさを思うと、きっと殴るのは一発だけなんだろうなと二人ともが思った。
 

 


 その日、砂隠れの里に細く白い煙が立ち昇った。
 そして。
 初めて食べる甘くほっこりとしたおやつは、からからに乾いた枯れ葉で焼く過程も子供たちに大好評で。
 以後、秋になると砂隠れの里から木の葉へと大量のサツマイモが注文されるようになる。
 その数年後、木の葉の協力を得て砂地で栽培できるサツマイモが改良されて、それが砂隠れの特産品となるのはさらに数年後のことだった。




 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 風の娘と白い花

 

 

「色気がないわね」
「‥‥‥うっせーよ」
 幼馴染みの容赦ない追求に、シカマルは嫌そうに顔を顰めた。
「女への初めてのプレゼントが栗にサツマイモ? どうせなら花束のひとつでも贈りなさいよ。年の数の赤い薔薇なんて素敵よ。一本50両。ラッピングはサービスしてあげるわ。リボンの色はどうする?」
「買わねーし贈らねーよ。んな金あるわけねーだろ」
「なに言ってんのよ。あんた中忍でしょ! 金に飽かせて貢がないとイルカ先生みたいになるわよ!」
 長い金色の髪を振り乱し、くびれたウェストと豊かな胸を強調するように身体をそらしたいのは、どうしてこうあたしの周りの男どもはと嘆いている。ほっとけ。
 シカマルは木の葉の里でも人気の栗を二袋と、イガつきを一袋分購入した。それと、最近売り出されたばかりの新しい品種のサツマイモ。これは高かった。はっきりいって、いののいう花束の何倍もかかったのだ。
 色気がないのはわかっている。
 でも、どうせなら喜んで欲しいではないか。
 美人だけれどきつい顔立ちの、弟想いの風の娘。
 慣れたとはいえ、木の葉の里にいる時はいつも緊張している。そんな彼女が笑顔を浮かべるのは、美味しいものに出会った時や、可愛らしい小さな野の花を見つけた時だ。
 赤い薔薇の花は似合うだろう。だけど、喜ぶのは小さな花。
 シカマルはある場所の釘を一本抜いたら自動的にばらばらになるように細工した木箱の中に、小さな菊を一本入れた。
 風の娘が喜んで眺めていた白い菊。林檎に似た匂いを放つ。
 根ごとつけるあたり、自分はやはり色気がない。
 緩衝材代わりに入れた枯れ葉にまぎれて、白い花はどこにあるかわからない。特別分けることもしなかった。
 気付かなくても、まあいいが。
 シカマルは木箱を閉じると、頼んだ業者に荷物を託した。

 


 その翌年。
 風隠れの里を訪れたシカマルが見たものは、温室で栽培された白い花々。
 林檎に似た匂いを放ち、開けられた窓から通る風に揺れている。
「ふふん」
 風の娘は子供のように胸を張った。
「どうだ。あの根からここまで育てたんだぞ。すごいもんだろう」
「あーすげーすげー。しかし、よく見つけたもんだな」
「わからいでか」
 風の娘は、ふふっと笑って。
「おまえがくれるものは、どんなものでも見つけるさ」
「‥‥‥へー」
 そっぽを向くシカマルに、その耳が赤く染まっていることに気付いたテマリは声もなく笑う。
 そして。
 そんな二人の様子に、温室の入り口から覗いていた弟二人は、シカマルがいる間せいぜいいびろうと心に決めたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 一楽物語

 

 


「一応療養中なんだから早く帰れよ」
 カカシはそう言って、自分は何も食べずに一楽を立ち去った。ナルトの様子だけを見に来たらしい。
 もう一杯食べるか悩んでいたナルトはへーいと生返事をして、顔を上げるとあれ?カカシ先生は?なんて間抜けたことを言っている。
 カウンターに肘をついたサクラはあんたねえと呆れた。
「まあ、いいや。おっちゃん、今度は塩で!」
「あいよっ」
「へへへへへ、いろんな国でラーメン食ったけど、やっぱり一楽が一番だってば」
「そりゃありがたいですねえ。これからもご贔屓に」
 一楽の店主はいい笑顔で笑った。
 この店主は、ナルトが商店街でまともな商品を売ってもらえなかった時から、他の客と変わらない対応をしてくれた数少ない人物だ。
 ナルトが店に入ってくると、客の中にはあからさまに嫌な顔をして代金だけ置いて出て行く客もいる。出したばかりのラーメンに口もつけなかった客もいる。
  ラーメン店主にとって、半分以上残された麺も汁もプライドを傷つけられるだろうに、その原因となったナルトが常連になっても変わらず笑顔でナルトを迎えてくれた。
 ‥‥‥仕方がないではないか。
 この子供を憎んでも仕方がないことを、店主は知っている。
 店主はラーメンを茹でながら、十五年前を思い出す。
 九尾が里を襲い、家も店も失い、それだけでなく妻をも亡くして。
 途方に暮れていた店主は、それでも無意識に開店の準備をしていた。
 店は破壊された。けれど、昔使っていた屋台がまだあった。機材もまだ使える。水も通っている。材料だって残っている。
 屋台に火を入れて、瓦礫の中で明かりを灯した。
 誰も来なくていい。ただ、何かしていたかった。幼い娘を寝かしつけながら、店主はスープの用意をする。
 彼らが来たのは、そんな時だった。
「‥‥‥お湯を分けてもらえませんか?」
 月の光を砕いたような、硬質な少年の声音。
 一睡もしていない店主は少しぼんやりとした動作で顔を上げると、暗部装束に身を包んだ、細い腕に何か抱え込んだ少年の姿を捉えた。
「お湯、ですか」
「はい。食事は、ちょっとできないんですけど」
 少年は淡々とした口調で言った。疲れ切ったような、乾いたような、とにかくひどく老成した印象があった。
 店主は快くお湯を用意すると、桶に入れて少年に渡した。少年はありがとうございますと、埃塗れでくすんだ白銀の頭を垂れた。
「‥‥‥ナルト。お風呂だよ」
 店主は目を瞠った。
 少年が手にしていたものは赤子だったのだ。
  ふっくらとした腹に何か文様の描かれた、淡い金色の髪の赤子。
  ところどころ付いているのは血だろうか。それとは別の生臭い匂いに、まさか産湯にも浸からせていないのだろうかと眉を顰める。
 が、無理もないだろう。
 赤子が生まれたのが昨日今日であるのなら、ゆっくりと湯に浸からせている余裕などなかったはずだ。もしかすると、この子の母親も亡くなってしまったのかもしれない。
 しかも、この少年は暗部。
 赤子の扱いを知っているとは思えない。
 そこでふと、店主は首を傾げた。
 ‥‥‥暗部が、赤子?
 少年はお湯の具合を確かめて、少し熱いそれが冷めるのを待っている。店主は慌てて水を足してやると、ついでに手ぬぐいを渡した。
「すいません」
 赤子にちょうどいいくらいの熱さになった湯に、少年はゆっくりと赤子を浸からせる。赤子はむずかるように小さな手足を動かしている。そっと、手ぬぐいで優しく顔や尻を拭いてやると、一人前にほっと小さな息を漏らした。
 初めて、少年の顔が綻んだ。
 ようやく見せた年相応の表情に、いっしょになって赤子を眺めていた店主は思わず尋ねた。
「弟さんですか?」
 少年はしばらく黙っていたが、
「‥‥‥そのようなもの、です」
 小さく、小さく呟いた。
 けれど、その眼差しは柔らかく、優しく、そして哀しい。
 どこまでも慈しむ眼差しだったことを、店主は覚えている。
 しばらくすると、大柄な忍びが少年を迎えに来た。ひどく慌てていたから、少年は行き先を告げていなかったのだろう。
 少年は眠る赤子を大事そうに抱えると、改めて店主に頭を下げて去っていった。
 少年と赤子が向かう先には火影屋敷がある。
 後に、店主はそういうことかと理解した。
 九尾の器となった赤子。たった一人残された暗部。
 九尾襲来のあの赤い夜と、その翌日まで、木の葉で暗部装束を纏っていた人間はただ一人だけだった。そのほかは全て露と消えた。九尾の牙と爪でもって、四代目の随伴となったのだ。
 残された少年と赤子。
 だから。
 商店街でも忌み嫌われている狐憑きの子供が暖簾をくぐっても、店主は笑顔で出迎えた。他の客が全員出て行ってもいい。子供がラーメンを美味しいと笑顔で啜るのを、嬉しそうに眺めた。
 しばらくすると、子供は下忍になったと店主にも報告し、その上忍師だという背の高い上忍をつれてきた。煌く白銀の髪。
「いらっしゃい」
「ども」
 上忍師はひょっこりと頭を下げる。
「あの桶、取ってありますよ」
 上忍師は蒼い瞳を軽く瞠ると、そっと微笑んだようだった。
「いつか、あいつが生意気なくらいでかくなったら、それをネタにからかってやってください」
「はい」


 

 嬉しそうにラーメンを啜る少年に、店主は顔を綻ばせる。
 ‥‥‥仕方がないではないか。
 九尾の器と憎む前に、可愛い赤子の顔を見てしまったのだもの。
 その赤子を慈しむ、優しくも哀しい少年の眼差しを見てしまったのだもの。
 そして、何よりも。
 自分の味を愛してくれる常連を大切にするのは当然だろう。
 ラーメンを食べに来るたび、新しい顔を連れてくる少年を嬉しく思いながら、店主は「またどうぞー」と声を張り上げるのだった。

 


「でも、そろそろ女の子は可愛いお店に連れて行ってもらいたいもんだねえ」
「お父さんたら、それはそれで寂しいくせに」
 幼かった娘の指摘に、店主はぽりっと鼻の頭を掻いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 一夜酒


 

 

「あんたが好きなんだ」
何度退けても、サスケはカカシにそう言い続けた。
真っ直ぐな眼差しで、偽りのない確りとした口調で。
もう、やめてくれよ。
その黒い眼差しは誰かを思い出させる。

 


「うちはの御曹司も頑張りますね」
「サスケをネタにするんなら帰るよ」
珍しく飲みに誘ってきたかと思えば、個室に通されてすぐの切り出しにカカシはぴしゃりと跳ね返す。
「いえ、そうでなくて」
「じゃあなによ」
暗部御用達の飲み屋の奥の個室、カカシは口布を引き下ろしながら、どっかりと座布団に腰を下ろす。
目の前の後輩が悪趣味な興味で切り出してきたわけではないのはわかっている。そうじゃなかったら、切り出された段階で回れ右していた。
テンゾウはカカシの杯に酒を注ぐと、カカシの返杯を断って手酌で自分の杯にも注いだ。
「先輩のことではなくて、ご意見番からの見合い話ですよ。見もしないで突き返し続けてるらしいですよ」
「馬鹿だねえ」
「どちらがですか?」
「ご意見番に決まってるでしょ」
「同感です」
テンゾウはくすりと笑った。
ご意見番を筆頭に、血統を重んじる里の上層部の面々は、写輪眼を伝えるうちはの血を残そうと躍起になっている。うちは本家の総領息子の暴挙によって失われた一族。残されたたった一人にどうにか子を為させようとする姿は滑稽としか思えない。
「あの人たちは知らないんですか?」
「何を?」
「次男に子を作る能力がないことを、です」
カカシは沈黙した。
「大蛇丸の人体実験によって遺伝子が傷つけられたとでも報告すればいいじゃないですか。そうすればもう見合い話を捻じ込むこともないでしょうに」
「‥‥‥一応機密なんだけどね」
「種無しは男の沽券に関わるってだけでしょう」
「おまえねえ、もう少しデリカシーってもん持ちなさいよ」
「先輩にだけは言われたくありません」
かつて、年下はサイズが小さくてつまらないと言いきったのは誰だ。
カカシは深々と息をついた。
――――イタチが手を汚すまでもなく、いずれ滅びる一族だったのだ。
写輪眼は劣性遺伝だ。同じ血継限界の玉眼でも、数の点で日向一族の白眼に劣る。
両親ともがうちは一族でも開眼する例は稀で、限られた血統のみに現れるとあっては、辿りつくのはただひとつだ。
「近親婚を数代も繰り返せば、生まれる子供が減っていくのは当たり前だ。異常を持った子供が生まれなかったこと自体がもう奇跡だよ」
それでも遺伝子という見えない設計図に異常は現れた。
暗部入隊時の検査で、まずイタチの精液に精子がない事が確認された。そして、うちは一族が壊滅した後、身体検査という名目でサスケの身体も調べられ、やはり正常な精子がない事がわかっている。
それを知っているのはイタチ本人と火影、調査した医療忍のみだ。サスケはまだ子供だったため告げられていない。
カカシが知っているのは、イタチから聞かされたからだ。
いずれ結婚して子を為さなければならないだろうと、イタチから告白された時に断る口実として口に出せば、あっさりと子は作れませんと返された。
どうせ滅びるなら、潔く散ればいいのにと。
瞬間、イタチの漆黒の瞳に炎が揺れたと思った。
あの時、背筋に走った冷たい感覚は予感だったのかもしれない。
イタチの手によってうちは一族が一人を残して惨殺されたと聞いた時、カカシは驚きもしなかった。ついにやったかと、ただそう思った。
「まあ、遺伝子に異常がなんていったところで諦めてくれるものでもないでしょうがね」
冷ややかなテンゾウの声音に、カカシは咽喉で笑った。
「おまえの方もまだ五月蝿いんだ」
「ええ、ぶんぶんと羽虫のようにね。後付けの木遁の能力が遺伝するはずがないのに」
「年寄り連中には初代は特別なのさ」
「いい迷惑です」
テンゾウは憤然と言い切った。
それきり、イタチの話題は出なかった。
時折雑談を交わしながら、二人は黙々と互いの杯に酒を注いだ。

 


「あなたが好きです」
何度退けても、イタチはカカシにそう言い続けた。
真っ直ぐな眼差しで、偽りのない確りとした口調で。
‥‥‥おまえ、馬鹿だなあ。
本当に、馬鹿だ。
最後の最後まで、何を考えていたかわからない奴だったけれど。
それでも、おまえの想いを疑ったことは一度もなかった。
意外に酒に弱いテンゾウが潰れて横になるのを横目に、カカシは一人杯を重ねる。
‥‥‥親を殺し、一族を滅ぼし、里を抜けて十年余。
少年だったかつての仲間は青年となり、なりふり構わず復讐者となった弟の手によって命を落としたのはちょうど一年前。
慰霊碑に名は刻まれず、忌み名として人の口に上ることも許されないけれど。
けれど。
一夜だけ。
この一夜だけ。
おまえのために、酒を飲もう。